1960年、愛知県岡崎市に生まれる。愛知県立芸術大学音楽学部作曲科卒業。
在学中作曲を、小林秀雄、保科洋、石井歓、兼田敏、中田直宏の各氏に師事。
昭和60年度文化庁舞台芸術創作奨励賞受賞。
JASRAC会員。日本女性作曲家連盟会員。
聴衆の心に優しく親しく入るその作品群は、着実に演奏家たちの新しいレパートリーとなっており、各地で好んで演奏されている。1995年より宗教音楽作品もライフワークとし、親鸞の世界に作曲。「南無阿弥陀仏」という念仏を自然で豊かな旋律に乗せ、曲ごとに変化をもたせた作風が広く愛され、日本の宗教曲として各寺院はもとより、コンサートホールや海外でも広く演奏されている。その活動により各地で講演の要請もあり、その講演は、NHKラジオ第2放送「文化講演会」で放送されている。
3歳より母と叔母の手ほどきでピアノを習い始める。10歳からエレクトーンも始め、音楽が大好きで、11歳頃より作曲も始めた。早くも、小学校の卒業文集には「将来は作曲家になりたい」と書くほど、のめり込んでいた。父は、司会と腹話術の名手でもあるが、バンドも組んでトランペットを吹き、ボランティア演奏をよくした。当時は、カラオケの機械はなかったので、父のバンドは、のど自慢大会の伴奏の仕事をよく引き受けていた。私は、小学校高学年の頃から父に連れられ、一緒に伴奏していた。このため、演歌からポップス、ジャズ、クラシックにいたるまで、身体の中にジャンルを超えたいくつもの音の引き出しができたようで、今思えば、感謝感謝である。
岡崎高校時代、コーラス部に所属していたご縁で、恩師近藤惠子先生がいつも応援してくださった。そのおかげで、卒業後は合唱曲から作曲活動を始める。その中で出逢うことのできた、詩人の関洋子氏。その詩は、とても鮮烈な言葉で人の心を打つ。関氏の詩で、私は作曲の時間をいつも楽しく過ごさせていただいている。また、妹の佐久間真理が、打楽器奏者である環境から、マリンバのための曲も数多く生まれ、出版されている。出産して子育てが始まると、子どもたちにとって、良い音楽鑑賞会の機会を与えたいとの願いから、自ら台本を手がけた音楽物語作品群が誕生し始め、作品は、今、全国で鑑賞していただいている。今では、いろいろな楽器奏者とのご縁も広がっており、管楽器、弦楽器ともに、作品が次々と生まれている。
生家が代々、親鸞聖人を篤く敬う浄土真宗の家系である。1994年のある日、お寺参りから帰宅した母が、「和讃『弥陀の本願信ずべし』に、是非作曲して欲しい」と私に言った。これがきっかけとなり、世俗音楽の作曲と共に、宗教音楽作品も書くようになる。今では、親鸞聖人の著作物に作曲することがライフワークとなっている。2005年に親鸞和讃による曲集「本願力にあいぬれば」の楽譜が、法藏館から刊行されて以来、各地のお寺で愛唱され、また日本の宗教曲として、コンサートホールや海外でも演奏されている。2011年5月2日、自作の「慶ばしいかな」が東本願寺の御影堂にて、親鸞聖人750回大遠忌岡崎教区の音楽法要として歌われた。自ら指揮をとり、160人の合唱との感動的な初演であった。
CD「本願力にあいぬれば」(2009年)、「慶ばしいかな」(2012年)が、カメラータ・トウキョウよりリリースされる。親鸞和讃曲集、親鸞教行信証曲集のCDとしては、日本初のリリースとなった。両CDとも、井阪紘氏の名プロデュースの下、テノール歌手の波多野均氏が、氏の指導される大阪ゲヴァントハウス合唱団と共に、入魂の歌唱で魅了する。波多野氏は、歌うために命を授かったのではないか、と思わせるような天性の美声で豊かに、そして細やかに表現される。他にも、全国で活躍されている器楽奏者が、作品に花を添えて下さった。特に2012年の録音では、この世のものとは思われないような美しい音色を響かせる、フルートの名手、伊藤公一氏。楽器と一体になって響き豊かに歌うチェロの名手、秋津智承氏が録音に加わって下さり、CDは、すばらしい出来上がりになっている。
10年前ころより、自作の和讃の歌を通して、親鸞の心を味わう講演の依頼をいただくようになった。講演させていただくことは、私自身、大変勉強することとなり、育てられ、嬉しく感謝の気持ちでいっぱいである。2012年には、NHK名古屋文化センターからの依頼で、スズケン市民講座にて、平田聖子講演「親鸞の心を音楽で」を講演した。この講演が、NHKラジオ第2放送「文化講演会」で、2013年1月 にオンエア。好評につき、5月には再放送された。とてもありがたいことであった。
以前より、公式ウエブサイトを開くようにと、多くの方からお声をいただいてました。
ここにようやく開ける運びとなり、感謝の気持ちでいっぱいです。
私の人生、すべてはご縁、出遇いでありました。
その中で、実に多くのことをいただき、育てられました。
これを機会に、益々、出遇いの輪が大きく広がれば、と思います。
今後ともどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
2014年3月 平田 聖子